息子へ渡す一冊
阿部次郎『合本 三太郎の日記』角川選書
もしも息子に一冊だけ「読め」と命令する本があるとすれば
迷うことなく『三太郎の日記』を渡します。
高校生になったら渡すつもりです。息子よ、読め。
いまから100年以上前に出版された
阿部次郎 『三太郎の日記』は大正・昭和期の青春バイブルとして
「学生必読の書」と言われていたそうです。
そんなことは今も昔も無学なままの私の知るところではありません。
ただ、平成期に大学生であった私にとって
この本との邂逅が唯一と言っていいほど、学生であったことのめぐみでした。
かつて、思想家の吉本隆明は娘の吉本ばななに大学へ行く意味を問われ
「べつに行かなくてもよかったなと思えることが、大学へ行く意味である」
という趣旨の回答をしたと聞きます。
私も今、大学生であったことの意義を問いなおせば
社会人となっては決して読もうと思わないであろう
難解な本にチャレンジする時間的な余裕と能力がある
のは大学生くらいであろうと思います。
何が私の心をつかんだのか
『三太郎の日記』の一体なにが私の心をつかんだのか
一言で申し上げるなら
「自分を観た」のです。
いまだ何者でもなく、何者になるべきか見当もつかない
自意識ばかり過剰な
いま思えば、どこにでも、いつの時代にもいる青年の懊悩がそこにありました。
『三太郎の日記』を読んで自分の悩みが解決したり
人生観が変わったわけではありません。
本にそこまで大きな効能があるかは疑問です。
ただ、明治・大正期に20代後半〜30代前半であった
見ず知らずの(哲)学者の思想に
自分と同じものを観た(当然、阿部次郎のほうが高尚)のです。
で、自分と同じものを感じて何がどう衝撃だったかというと
感動と恥ずかしさ、です。
「俺の考えていたこと(もっとレベルが高い)が書かれてる!」
と感動したと同時に
「俺の考えは全然オリジナルでもなんでもなかったのだ!」
という恥ずかしさ。
青年期にありがちな、自意識過剰の仮面が剥がされ、謙虚になれたのです。
めでたしめでたし。
いまはWikipediaで簡単に阿部次郎の略歴を知ることができます。
阿部次郎は夏目漱石の門下生のひとりであると紹介されることが多いものの
「私は漱石の門下生ではない」と自認しながら、漱石を「先生」と呼んだのでした。
『父 阿部次郎』
阿部次郎の死去(昭和34年)から2年後の昭和36年に
阿部次郎の三女である大平千枝子さんが
『父 阿部次郎』を角川出版から出版(その後東北大学出版会叢書で復刊)されました。
その中で、学者・阿部次郎の家庭での一面がうかがえる記述をいくつか紹介します。
《賎(いや)しい人間になってはいけないーというのが幼いうちから沁み込んだ家庭の鉄則であり》
《父は自分の子供が世間から特別扱いされることを嫌った》
《父は自分のお蔭で、子供たちが世間からちやほやされたり、
有名人と特別な関係を持ったりすることを厳重に戒め、一生その方針を変えなかった。》
《「ちいこ、あんまり勉強すると馬鹿になるよ。」父はこう言って、私と弟とをよく散歩に連れ出してくれた。》
「あんまり勉強すると馬鹿になるよ」
しびれますねえ。
阿部次郎自身は、一生勉強し続けた人に違いないにもかかわらず
自分の子どもには「馬鹿になるよ」ですって。
それは阿部次郎をもってして
勉強し続けても手応えがなかったということなのかもしれません。
ではまた。