前回、なぜか古文の話をして下記のようなことを書きました。
①大昔の日本で、文字を書くことができたのは、男女問わず、知識人や教養人(貴族・特権階級)
であること。
②そのような階級の人がわざわざ貴重な紙と墨で文章を書くということは、
何か読み手に新情報を与えるもの、記録しておかなければならない重要なことである。
③敬語表現につまづきがちだが、敬語の対象は天皇など、やんごとなき高貴なお方であるから
どのような行動もベタ褒めするしかない。
つまり、「おじゃるさまお口がクサくおなりですぞ」とかは万が一思っても、絶対に文章にならない。
逆に女官同士の嫉妬や悪口とかはある。
④現代では想像がつかないくらいの階級社会で、序列意識が強烈にある。
敬意も強烈な反面、謙遜も強烈である。
立場が上の人のお顔を直視することも失礼だし、名前も気安く呼べません。
「はは〜」とひれ伏して、「よいよい。おもてをあげい」の世界ですから。
⑤天皇は偉い→その親である先代はもっと偉い→「今よりも、昔がよかった(昔を否定できない)」
→昔を否定して、将来へむけて改善する思考の欠落。
⑥以上をふまえると、古文として出題される文章は書き手・登場人物・シチュエーションが
現代文よりもかなり限定的である。
と。
では、試しに2020年 早稲田大学 政治経済学部の入試問題の一つを見てみましょう。
本文の内容と合致するものを一つ選びなさい。
(問題文の冒頭で、西行が、俊成と定家(親子)に伊勢神宮へ奉納する和歌の判定を依頼。俊成と定家がそれに対して文章を書いたことが明示されています)
イ 俊成は、古今集の撰者よりも公任のほうが、和歌に対する批評眼が確かだと確信していた。
ロ 俊成は、歌合の判者として活躍した経歴を誇って、伊勢神宮奉納の名誉を得た喜びを語った。
ハ 西行は、特別な歌合の判を俊成・定家父子に依頼し、まだ若輩の定家の才能を特に高く買った。
二 西行は、老境を分かち合う仲間として俊成を信頼し、その推薦により定家にも好意を寄せていた。
ホ 定家は、神仏への信仰に深く心を寄せ、立身出世などは歯牙にもかけない文学者気質を持っていた。
ヘ 定家は、俊成の子である自覚を強く抱き、和歌の道の発展こそ自分に与えられた使命であると思っ
た。
興味がわきづらいと思いますが
まず、本文を読まずに、この選択肢と格闘してみましょう。かっこ内は私の思考です。
イ 俊成は、古今集の撰者よりも公任のほうが、和歌に対する批評眼が確かだと確信していた。
(伊勢神宮に奉納するものに関わることを依頼されたことは、俊成・定家父子にとって、
この上なく名誉なことのはず。また、西行が依頼した点から、坊さんの方が立場が上である。
序列意識が強烈なので、おそらく俊成・定家の書く文章は
「このような任命を受けて、大変恐縮である」という超謙遜の文章であるはず。
また、昔を否定しない傾向から古今集の撰者の否定はしないはず。✖️か?)
ロ 俊成は、歌合の判者として活躍した経歴を誇って、伊勢神宮奉納の名誉を得た喜びを語った。
(歌合の判者に任命は誇るべき、喜ばしいことは正しいと思う。
が、超謙遜がベースなので喜びは語らない(みっともない)のでは?✖️か?)
ハ 西行は、特別な歌合の判を俊成・定家父子に依頼し、まだ若輩の定家の才能を特に高く買った。
(前半は、問題文で明示されていて、客観的に正しい。後半も、若輩(俊成・定家父子とあるのだから
若いのだろうし、父親だけでなく、息子にも依頼したのは西行が定家の才能ありと思ったと推測はで
きる。○か?)
二 西行は、老境を分かち合う仲間として俊成を信頼し、その推薦により定家にも好意を寄せていた。
(前半は、本文を読まないと分からないが、俊成を信頼しているから依頼をしたのだろう。
また、西行が定家に好意を寄せていなければ、依頼をしないだろう。
ただ、「その推薦(俊成の推薦)」とあるが、親父が自分より立場が上の西行に対し「うちの息子」
を推薦するだろうか?超謙遜するなら「うちの愚息」というはず。✖️か?)
ホ 定家は、神仏への信仰に深く心を寄せ、立身出世などは歯牙にもかけない文学者気質を持っていた。
(定家の神仏への信仰心はまだ分からない。定家は百人一首の撰者でもあるから、文学者気質を持って
いないとは言えないのかな。ただ「立身出世などは歯牙にもかけない」という強い表現が気になる。
階級社会で、立身出世を気にしない貴族がいるだろうか?もしそうだとしたら、定家は依頼を断るの
ではないか。しかし、結果として引き受けているはずだから、✖️か?)
ヘ 定家は、俊成の子である自覚を強く抱き、和歌の道の発展こそ自分に与えられた使命であると思っ
た。
(前半は、知らないけども、親を現代以上に敬ってたのは時代劇の「父上」「父君」などの表現から
も明らかだろう。「和歌の道の発展こそが使命?」が気になる。発展という未来志向は、
過去の先人達の仕事の否定という作業が必須である。親の仕事の否定、親の親世代の仕事の否定…
しないと思うよ。✖️か?)
消去法ですが、父的な思考の結果、正解は「ハ」です。
予備校の解答を見ましたら、「ハ」でした。
偶然?いや、必然です。冗談です。
そのあと、パラパラと文章を読みましたが
定家が「私なんてまだ若くて位も低いのに選んでもらっちゃって…」みたいな超謙遜に溢れていました。
たったこれだけの思考で本文も読まずに
早稲田の政経の古文の問題が一つ解けましたね。
ぜひ、お知り合いに高校生または高校生のお子さんがいる親御さんがいたら
これを教えてあげて欲しいです。
もちろん、例外(批判や悪口の文章とか)は存在します。
ただ、大学入試も、宅建試験も、出題者側は
根本を理解しているか否かを
みたいのであって
例外的なことを知っていることを評価しません。
古文の場合、なぜ古文を高校生に教えているかというと
古文の言葉づかいを通して、
我々の祖先の生きていた世界観、価値観を共有しようという
教育目的が(おそらく)あるからです。
ついでに、次回は、英語について役立つことを書きます。
ではまた。