正しくない日本語はない 複数の言葉づかいの運用を教えよう

読書感想文

NHKでは2003年から齋藤孝さん監修による

「にほんごであそぼ」という教育番組が放映されています。

子どもと観ながら、一度たりとも面白いと思ったことはない不思議な番組です。

 

おそらくそれなりに多くの日本人は

「正しい日本語」や「美しい日本語」というものに関心があります。

「正しい日本語」「大和言葉」というタイトルの本が無数に販売されているのも

その証左かと。

 

正しくない日本語の代表は「ら抜き言葉」ですよね。

「食べられる」を「食べれる」と言うのは間違っているとされ

テレビのインタビューで「食べれる」と言っているのに

わざわざ字幕で「食べられる」と訂正してくれる始末です。

 

わたし自身がほとんど「ら抜き」で喋って暮らしており

誤った日本語話者との自己認識もありませんから

ずっと高齢者が「ら抜き」言葉をけしからんという気持ちが理解できませんでした。

 

しかし、ある一冊の本を読んで、いろいろな疑問が氷解しました。

小松英雄『日本語はなぜ変化するか【母語としての日本語の歴史】』笠間書院

 

昔から「今どきの言葉遣いが乱れてる」と言っていた。

筑波大学名誉教授の小松英雄さんは

『徒然草』の兼行法師も『枕草子』の清少納言も

今どきの言葉遣いに我慢がならん」と言っていたことを引き合いにしながら

 

《古い世代の人たちが「本来の形」であると思いこんでいるのは、

自分たちが育った時期の語形や表現である。

そうだとしたら、若い人たちにとっての「本来の形」は、

まさに、古い世代の人とたちが<乱れ>として排除しようとしている

新しい語形や表現にほかならない。その関係は永久に繰り返される。》

 

《古い世代の人たちは、概して、何につけても昔はよかったと実感している。

世の中は急速に頽廃しつつあり、言語もその頽廃を反映して堕落していると確信している。》

 

と、古い世代は常に自分の言葉に自信をもち、新しい世代を嘆くものだと言っています。

 

昔のままの言葉はない

古い言葉(宮廷言葉なのか庶民の言葉なのか、どの地方の言葉なのかを乱暴にも捨象したとして)

が正しいと仮定すると

次にいつから?が問題になることに対して

 

《当時(平安時代)におけるハ行音節の発音はファ/フィ/フ/フェ/フォであった。》

 

《ミラレルという「本来の形」が正しく美しい日本語であると主張するまえに、

そのミラレルが、そもそも、なんの規制も受けずに自然に発達した語形であり、

五百年も千年もまえから使われていた語形ではないことに思いを致すべきである。》

 

と、日本語に限らず言語は常に変化を続けてきていることを指摘します。

《すべての言語は、効率的に運用しやすい体系をつねに保持するように、

体系を更新しつづける仕組みをそなえている。》

のですし、他言語よりも日本語のほうが難解で複雑で優れているといった根拠のない思い込みについても

《生まれ育った言語に愛着をもつのは当然であるが、いわれのない優越感をもつのは危険である。》

と喝破します。

 

ら抜き言葉も自然の流れ

ら抜き言葉に代表される「正しくない日本語」についても

小松さん自身は「自分も老人だから気にならないわけではない」としながらも

 

《新しい表現類型への欲求が聞き手にも伝わるならー

すなわち、聞き手にもそれと同じ欲求が潜在していて、

言い誤りの表現効果がプラスに評価される場合にはー、

加速度的にそれが普及し、社会的に認知されるようになる。》

と、従来の表現と違っていても、受け手も同意するときに新しい表現として認知されること

つまり受け手が同意または理解しない新表現「ぶぇしゅ(テキトー)」とかは

そもそも日本語として理解されないわけですから

それは理解できない(意味を伝達しない)言語であって

正しい日本語ではないというより、言語ですらありません。

 

逆にいうと受け手に意味が伝達される言語であれば

「ら」が抜けていようが、それは正しくない日本語であるどころか

立派に正しい日本語となるでしょう。

 

正しい日本語とは?

小松さんは正しい日本語とは

相手に抵抗を感じさせないのが正しいことばづかいであり、とりもなおさず正しい日本語である。

相手しだいで、いくとおりもの正しい日本語があり、その場に応じてそれらを適切に使い分ける

のが言語運用の能力である。》

 

《老人には〈召し上がれますか〉と尋ね、友人には〈食べれる?〉と尋ねるのが正しい日本語である。》

 

と言っています。

そして注意点として

《ただし、どれほど合理的な変化であっても、新しい言いかたは、

当分の間、低く位置づけられ、それを使う人も低く評価されることを知っておくことは、

社会生活における円滑な伝達にとって大切なことである。》

と述べています。

 

子どもに「正しい日本語」を強要するよりも

相手に抵抗を感じさせない言葉づかいの運用を指導したいものですね。

 

ではまた。

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