「あなたは差別が好きだよね」と妻から言われました。
「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。まるで俺が差別主義者みたいじゃないか」
「差別主義者ではないけれど、差別というテーマが好きよね。15年前から知ってるから大丈夫」
まあ確かに夫が帯に「被差別部落像の虚と実を探る」と書いてある本を読んでいたら
「なぜ我が夫はこんな本を読んでいるのであらうか?」と思うのも仕方ありません。
また妻は「あなたはテーマが暗いノンフィクションばかり読んでいる」とも言います。
首肯せざるを得ません。
これまでそれなりにノンフィクションを読んでいる自負はありますが
下記の2冊の組み合わせには度肝を抜かれました。
角岡伸彦『ノンフィクションにだまされるな! 百田尚樹『殉愛』上原善広『路地の子』のウソ』モナド新書
上原善広『路地の子』新潮社
上原善広『路地の子』とは
上原善広さんという作家がいます。
上原善広(WIkipedia)さんは、被差別部落の出身者として
『被差別の食卓』新潮新書
『コリアン部落 幻の韓国被差別民・白丁を探して』ミリオン出版
『日本の路地を旅する』文藝春秋
などなどのルポルタージュを著しています。
私も彼の本はいくつか読んだことがあります。
『被差別の食卓』で「あぶらかす」という食べ物の存在を知ったり
昔、韓国で白丁(ペクチョン)という人たちがいたことを知ったり
面白く読みました。
たまたま古本屋で『路地の子』を見つけ
「怒涛のノンフィクション!!」との帯に吸い寄せられるように購入しました。
路地というのは、被差別部落のことを指します。
被差別部落出身で芥川賞受賞作家の中上健次が「路地」という表現を使っていたことにならっています。
ちなみに中上健次の代表作は下記2点。
中上健次『岬』(芥川賞受賞作)
中上健次『枯木灘』(岬の続編)
私はこの『路地の子』を一気に読みました。面白かったからです。
牛や豚の解体の描写などにリアリティがありました。
そして、日本人版の『血と骨』だなとも思いました。
どちらも
腕っぷしと気性の荒さで、極道からも一目おかれ、金と性を追い求める父
の話です。
『血と骨』が映画化されたのですから、『路地の子』も映画にしてもいいかもと思いました。
しかし『路地の子』が映画化されることはないでしょう。
『路地の子』に感じる違和感
『路地の子』は面白い。
しかし、素人の私が読んでも、多くの違和感がありました。
・会話文が多い(どうやって裏を取ったのだろう?)
・帯に「父の怒涛の人生」とあるのに最後に「この作品は著者の自伝的ノンフィクションです。」
とあります。主人公は紛れもなく父なのに。
・ノンフィクションと言ってるわりに、登場人物がほぼ仮名な気がする。
(父の龍造は中上健次の小説の人物から採用しているようです)
・ノンフィクションなのに、参考文献が一冊も書かれていない。
もっとも強い違和感が、最終章にて
上原氏の兄が幼女への性犯罪で逮捕されたり、自身が自殺未遂をしたことなどを
(我々兄弟は)
「父としてこちらを向いて欲しかったのではないだろうか」
「たとえねじれた愛情表現だったとしても、父に本気でこちらを向いてもらうには、
私たちはそうするしかなかったのだ」
と性犯罪さえも父への愛情表現としてしかたない
などと書いていることでした。
ちょっとやばいぞ、そう思わずにはいられません。
『ノンフィクションにだまされるな!』を読む
角岡伸彦『ノンフィクションにだまされるな! 百田尚樹『殉愛』上原善広『路地の子』のウソ』モナド
角岡伸彦さんという方を、私は寡聞にして知りませんでした。
神戸新聞の記者を経て、フリーライターになった方で、被差別部落に関する著書が多いです。
この本で、『路地の子』がノンフィクションでないことを徹底検証しています。
結論から言うと
年代・名称・登場人物ほか、あらゆる点で創作が多数含まれており
まともな取材の形跡がほとんど見られない。
小説として売るのはいいが、ノンフィクションとは認められない。
という感じです。
結果的に『路地の子』は関係各所から訂正を求められ(その訂正も間違えているらしい)
新潮社も初版の帯の《怒涛のノンフィクション!!》を《壮絶な「父と子の物語」》
に変更しノンフィクション推しをやめたようです。
こんな顛末を迎える書籍、なかなかないですよね。
2つの教訓
『路地の子』は創作として読む分には、楽しめると思います。
しかし、必ず『ノンフィクションにだまされるな!』と併せて読む必要があります。
私はこの2冊を読んで2つのことを学びました。
1つ目は
・新潮社のような大手でもいい加減な本を出す。
・いい加減な本でも売れる。売る。訂正もロクでもない。
・まじめな検証本は売れない。
2つ目は
私自身の差別意識。
自分を差別はしない人間だ、と思っているくせに
「被差別部落出身の上原さんが書いた本だから嘘はないだろう」と盲目的に考えていた節があります。
出自を判断材料にステレオタイプに落としこむ
という点において十分に差別的な思考回路だと反省します。
ちなみに角岡氏も被差別部落の出身を公表しています。
出自や肩書や性別や肌の色に関係なく、まじめな人間とふまじめな人間がいる
そんな当たり前のことを再確認させてもらいました。
角岡伸彦『ふしぎな部落問題』がおすすめです。
せっかく角岡伸彦さんという方を知ったので
Amazonで片っ端から注文しました。
『ふしぎな部落問題』という本が
私が今まで読んだ被差別部落に関する本でダントツに面白い。
丁寧な取材による落ち着いた筆運びによって
被差別部落の
過去から現在、そして未来への展望までが概観できます。
部落について考える1冊目に最適です。
いかなる差別も差別する側がいけません。
一方で、部落解放運動について
《部落民からの解放ではなく、部落民としての解放を目指してきた。》
《部落解放運動は、部落民としての解放を志向しながら、
「どこ」と「だれ」を暴く差別に対して抗議運動を続けてきた。
しかしそれは出自を隠蔽することにもつながる営為であった。
部落民としての解放を目指しながら、部落民からの解放の道を歩まざるを得なかった。》
との悩ましい矛盾を抱えていることを指摘しています。
とても示唆に富む一冊です。
ではまた。