私は、今までも、そしてこれからも、無宗教です。
特定の宗教の信者の人は「無宗教?信じられない」と言うかもしれませんが、ほっいてください。
海外に行った時だけ面倒なので「Buddhist(仏教徒)」と答えるエセ仏教徒です。
竹内靖雄さんの『<脱>宗教のすすめ』
は、宗教も一つのサービス業であることを理解するのにとても役立ちます。
酒やタバコと同じで、「他人に迷惑をかけない範囲で本人が楽しむ分には自由」
というスタンスを私も支持しています。
にもかかわらず、私は過去に遠くからではありますが
日本の上皇陛下
チベットのダライ・ラマ14世
カトリック教会の長・教皇フランチェスコ
を生で拝見したことがあります。
ダライ・ラマ14世は東京の講演で
教皇フランチェスコはバチカンの広場で。
私は無宗教ですが、宗教そのものには外野から眺める程度の興味があります。
日本の天皇陛下とダライ・ラマ、教皇との決定的違いは
天皇は天皇の子として生まれるのが原則ですが
ダライ・ラマと教皇の出自は一般人であることです。
チベットの場合は、輪廻転生を信じているので
先代のダライ・ラマが死ぬと、占いで「あの村にダライ・ラマの生まれ変わりがいる」と言って
遠くの村から将来のダライ・ラマを連れて来ちゃいます。
カトリック教会の場合は、コンクラーベという教会内の秘密の選挙によって選出されます。
現教皇フランチェスコが南米アルゼンチンの出身で、激動の人生を送ったことがあるのは
映画「ローマ法王になる日まで」でも描かれました。
皇室の存在を宗教とみなすかどうかの議論は置くとして
この三者に共通しているのは「祈る人」であるということです。
私は、祈る人をばかには決してできません。
ましてや、自分の人権の多くを制限されながら「祈る姿を見せる」ことで
世界中の多くの人の心を動かすこの方々は偉大です。
私は神を信じるものではありませんが
時として、ごくまれに、人間が神聖さをまとうことがあることに、心が震え、謙虚になれます。
あなたの今日が良きものでありますように。
ではまた。