「貧すれば鈍する」? 一生勉強しなければいけません。

独り言

doorman

「貧すれば鈍する」

意味:貧乏すると、世俗的な苦労が多いので、才知がにぶったり、品性が下落したりする。(大辞林より)

は正しいと思います。

 

いやいや、貧乏でも品性を保っている人はいるし、清貧という言葉もある

なんなら、自分自身だって割と清貧だぜ、と思っているかもしれません。

 

それはそれはよかったですね、と申し上げます。

 

「貧」「富」と「鈍」「利」の8パターン

「〜すれば〜する」という因果関係を

「貧」「富」と「鈍」「利」の4語で組み合わせると下記の通り8パターン存在します。

 

①貧すれば→鈍する

ほぼその通りでしょう。例外があることは認めますが。

②貧→利

貧乏になれば品性が保たれる。そんなわけありません。

③鈍→貧

①とどちらが先か、コロンブスの卵のような話で

鈍いから貧乏の可能性はとても高い。例外があることは認めますが。

④鈍→富

鈍いから富む、ということは生き馬の目を抜く資本主義で考えにくいことです。

⑤富→鈍

宝くじに当たった人が往々にして悲惨な末路を辿るらしいのは、これのことかもしれません。

⑥富→利

富んだから利口になるとは言えないでしょうが

資産防衛の為の知恵を得たり、ノブレスオブリージュの精神を発揮するようになるかもしれません。

⑦利→貧

利口が原因で貧しさを招くとは考えにくいことです。

しかし利口が故に、あえて貧しさを選択することは考えられます。少数派ですが。

⑧利→富

もっともアメリカンドリームチックな、利口なやつが富むという話です。

 

清貧とは結局、利口な人が自主的に選択していることがほとんど

日本人が好きな「清貧」ですが

要するに「貧しているが鈍していない」ということで

⑦の利→貧のパターンのように

もともと利口な人が貧乏になった(選んだ)人であることが多いでしょう。

 

清貧の人として名高い

古代ギリシャのエピクロス

アッシジのフランチェスコ

も、疑いなく当時の知識人です。

 

シャカ族の王子が、恵まれた境遇にうんざりして家を出て

ストイックに過ごしたのが仏教の起源なのにも似て

「知識階級が自ら望んで貧者の道へ進んでいる」点で似ていますよね。

 

貧しさに甘んじざるを得なかったのではなく、

勝手に世を捨てただけです

 

また、「清貧」という概念が美徳としていまも語り継がれているのは

例え聖者であってもそう簡単に達成できない境地であるかの裏返しでもあります。

皆が貧しくも清らかに暮らしているのが常態であれば、清貧などという言葉は消えます。

 

貧しても鈍しないことが極めて困難である現実が厳然としてあるからこそ

そのような人が異彩を放ちます。

 

上出遼平『ハイパー ハードボイルド グルメリポート』に出てくる

ケニアのゴミ山にいる青年を上出さんが「清貧」と呼んだのも

ケニアのゴミ山にあって、強盗をせず、約束を守り、インタビューに誠実に答えるその姿が

実に稀有だと思えたからです。

 

目をそらしたくない真実

はたして、お金持ちは強欲で心が汚く、貧者は心が綺麗なのでしょうか。

 

貧者と言っては語弊がありますが

学歴のない日雇い労働者の実態を書いた2冊の本を紹介します。

別々の著者が奇しくも同じようなことを書いていることに注目してください。

 

赤松利市『下級国民A』CCCメディアハウス

《馬鹿とか阿呆とかいうのではない。押しなべて子供じみているのだ。

言葉を選ばずに言えば、彼らの知能の発育は、幼稚園児レベルで停滞しているようにさえ思えた。》

 

《きつい、汚い、危険の3Kと世間から蔑まれ、根本に、世間に対する劣等感を澱のように沈殿させる彼らは、

その裏返しとて、猜疑心が強く、雨が降れば仕事にあぶれる、現場が終われば次の仕事が保障されているわけで

はない、日給月給の、そんな収入の不安定さゆえに、押しなべて吝嗇であり、そんなこんなが、日常的な苛立ち

に通じるのだろう。あるいは幼児性に起因する彼らなりの自己主張なのか、彼らの感情の沸点は、理解できない

ほど低く、瑣末なことで言葉を荒げ顔面を赤くする、そんな場面を日常的に目にした。》

 

《彼らは押しなべて幼少期の貧困を経験しており、十分な教育も受けず、長じて社会に出ても、向上を望めない立

場にあったのだから致し方ないともいえよう。》

 

大山史朗『山谷崖っぷち日記』TBSブリタニカ

《山谷住人の陋劣さは、一般市民社会の住人の陋劣さよりも洗練と多様性に欠け、はるか単純で露骨だった。

無知と卑屈と傲慢の三位一体を体現したような人々とは、腐るほど出会ってきた。知識それ自体にはさほどの意

味はないのだろうが、知識を手に入れる過程で身につく教養なるものは、なるほど重要なものなんだなというこ

とが、これら三位一体を体現した人々と接触するたびに痛感させられるのだった。

無知でありながら、性格の力のみで己の陋劣さを焼き切ったというふうの人々には会ったことがない。》

 

知は力なり

前述の2冊の著者は大卒です。

2冊の中には

・上の立場のものに媚びへつらう(卑屈)

・大卒の著者への嫌がらせ(傲慢)

の具体的エピソードが出てきます。

そして、それぞれの著者は原因を「彼らが教育を受けていないこと」だと推測しています。

 

つまり

貧すれば鈍するのではなく

貧すれば、もともとの鈍が加速する

または

鈍しているから貧する

可能性がとても高い。

 

なにも、私自身は鈍くないとか、学歴がない人が貧乏でも仕方がないなどと

は口が裂けても言いません。

私自身も高校をフェードアウトした日雇い労働者でもありました。

その時に感じていたコンプレックスは一生消えません。

 

であるからこそ

我が子にはまともな教育を受けさせたいと願いますし

誰からも奪われない唯一の資産としての、自分だけの知を子どもには持ってもらいたい。

 

我が子に対して

「貧しくても心は清く保つのだよ」などとは言えません。

「貧しくならないように、清い心を持てるように、脳みそを働かせて稼ぎなさい」

と言えるだけです。

 

ではまた。

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