2019年、日本では芸能人の違法薬物逮捕がたくさん報道されました。
私は飲酒、喫煙に依存しているかもしれません。
私が逮捕されないのは
酒もタバコも「今のところ日本では合法」
という理由しかありません。
自身および他者への健康、精神におよぼす被害の大きさは関係がない。
まったく関係がない。
酒もタバコも日本で合法なのは
国家として削減したくない税収源だからでしょう。
将来的に、酒やタバコよりも効果はソフトかつ税収が見込める代替品があれば
酒やタバコにとって替わられる可能性はあります。
(酒は永久に存在し続けると思います。)
今の日本のTVショーは、外国人が
「私も昔コカインをやったことがある」
と発言することすらも嫌がるらしい。
私は「マリファナを合法化せよ」などというつもりはないけれど(本当)
ある意味で誰も傷つけていない
「違法薬物所持」程度のことで
社会的に抹殺してしまうのは行き過ぎな気もしています。
我が子には
あまり形式主義的な正義を振り回さないようになってほしいです。
薬物に関連して
依存症についても考えてみたい。
我々は、何にも依存していないのだろうか?と。
そんなばかな。
人間は必ず何かしらに依存して生きています。
要するに
依存の程度の差でしかないし
もっと言えば
「社会生活への支障の有無」で判定しているだけでしょう。
支障があれば「依存症」という病名がついて悪いものとされ
支障がなければ「偏愛」くらいのものです。
誰も「白米依存症」とは認識しないのですから。
かつて作家の中島らもは
「酒が悪いわけじゃない」と言っていた気がします。
「酒とうまくつきあえない自分が悪いのだ」と。
法律は大事ですが
自主性はもっと大事です。
私は子どもに
「車の往来が全くない横断歩道の信号は、とっとと渡りなさい。」と教えています。
大切な人生を、
妄信的に誰かの決めた法律のために費やすのはやめてほしいからです。
肝要なのは
依存してもよい。ただし、いざというときは自分でコントロールできるように
ということでしょう。
ただし、人間の意思は弱く、もろい。
コントロールできるようなら最初から依存などしません。
そのために「仕組み」が我々には必要なのです。
ではまた。
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